生意気

生意気な主が生意気に語るブログ 車が好きで自動車整備士になるも職場環境が悪く8ヶ月で退職し現在フリーのwebライターとして活動中。自分の趣味のこと、フリーで生きていくには?自動車整備士(笑)とは?を発信中

年末年始だから何かしないという強迫観念

年の瀬です

 

この意味ってなんだろうと思い、ググったら「慌ただしい年の暮れ」という意味だそうです

 

つまり慌ただしくない僕は年の瀬という言葉を使えないということ

 

そんなわけでどうも生意気(@canworks100)です

 

フリーランスという仕事柄、仕事納めは自由にできるので、いつでも納めることができます。しかし僕は働く方を選んでいます。理由としては仕事してる方が楽しいからです

 

年末年始に働くことを、ネガティブな感じで捉える人が大多数ですが、それでも働いている人はそれなりにいます。そもそも今のご時世、サービス業が半分以上を締めているので、年末も仕事の人はかなりいるはずです。僕の感覚値ですが

 

仕事に対してものすごく悩んでいたちょうど一年前の僕からしたら、とても嬉しい変化です

 

去年の今頃はたしか会社が年末休みに入って「ああ、年明けたら仕事行かないといけないのか・・」とかなり鬱な状態でした

 

そんな風に思っていると、本当に翌年会社に行けなくなりました

 

おかげで今のように満足行く仕事ができるようになったので、まじで仕事嫌なら逃げることも大事だなと思いました。

 

世間的に仕事から逃げるってバッシングを食らう対象ですが、世間様の目なんか気にしていたら生きることなんか不可能です

 

そんな風に開き直るとあら不思議、なんにも怖いことなんてありません。

 

現状まさに”死ぬこと以外かすり傷”

 

そんな流れで年末年始だからなんかしないといけないという国民の中で流れる強迫観念のようなものがあります

 

年末だから大掃除して、年越しだからガキ使見て、年始だからお参り行かないといけないみたいなやつ

 

確実にこれらの行事はパリピがやるものだと思ってる

 

家でゆっくりしないといけない、みたいなのも完全に年始の雰囲気にやられてますが、基本いつでも休める

 

行事ごとがあるたびに僕自身無関心を貫き通しているのですが、斜に構える自分きめぇなと思いつつも、そんな思考が浮かんできてしまいます。

 

でも”しなければいけない”というのは、ある種、可能性を潰しているような気がしてしょうがないのです。

 

何かを得るには何かを犠牲にしなければならないという言葉がありますが、まさにそれ

 

”明日の仕事のために今日は早く寝よう!”も、仕事終わりの趣味の時間などを減らしています。趣味の時間、例えばゲームをやりたいけど、明日は仕事早いから今日は我慢!と同じことです。

 

翌日の仕事のパフォーマンスを上げるために、好きなゲームの時間を無くす

 

それと同じで”しなければならない”も同時に何かもっと大事なことに費やす時間も減らしているような気がします。もしくは考え方です

 

こうしなければいけない、という強迫観念が、新しい可能性を潰しているような

 

もっと面白いことがあるんじゃないかな、とも思ってしまいます

 

そんなわけだから、僕は年末年始も変わらず自分が楽しい、必要という方向へ時間を使っていこうと思います

 

と言ってもずっとそのスタンスだから、年末年始だから特別なことするぞ!みたいになってるかも

 

僕も結局、目に見えない強迫観念に突き動かされているのかもな

 

アディオス