生意気

元・自動車整備士の現・Webライター。ノマドに憧れる僕が人生観や仕事観について語るブログ。

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「努力」というのは地味なものです

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日本人は「努力」だとか、そういった『根性論』『精神論』が大好きです。

 

「努力、友情、勝利も使い古された言葉になってますが、それでもこれらの言葉には熱くならざるを得ないのが我々、日本男児

 

そんな週刊少年的教育を受けてきた我々からしたら、「努力」というものは常に付き纏うもの。

 

しかしながら、その努力って実は、すごく地味な気がしません?

 

よく、自分はしてますアピールする人はいるが、そんなもんは努力ではなくただの見栄。

 

「努力」っていうものは人知れず行われるものだし、それは本来、人には見せられないほど地味になるはず。

 

 

 

漫画の修行シーンはカットされる

 

週刊少年ジャンプはみなさん、読んだことはあるかと思います。

 

漫画の主人公が、強敵と遭遇した際、今の自分では勝てないから、修行に入るシーンがあるかと思うんですけど、そのシーンて、ほとんどカットされていることにお気づきでしょうか?

 

例えば大人気漫画『ONE PIECE』。

新世界を目指してた”麦わらの一味”が前半の海で最後に立ち寄った”シャボンディ諸島”で世界政府の改造人間である”くま”によって一味は壊滅的な危機に合う。

その後、ルフィが頂上戦争を経たのちに、2年後に集合と仲間にメッセージを残して、その後、一味はそれぞれ修行に励むこととなった。

 

確かに、本編とは関係ないだろうけど、少しくらい書いてもいいんじゃないか?とも思う。

 

 

続いて、『NARUTO』。

こちらは忍者漫画とだけあって、「修行」に関してはよく描かれていた。

 

それでも結構端折られているし、そもそも僕はこの漫画を読んで、「修行って地味だな」て思ったのだ。

 

例えば主人公のナルトが”螺旋丸”を習得する時の修行の場面においては、ひたすらナルトが”水風船を割る”だけの場面ばかり描かれていた。

そこ自体は面白くないのだが、自来也が出る他の場面で、修行シーンに関しての面白さは、賄っていたと思う。

 

 

つまりです。

 

修行などの努力をしているシーンって、ものすごく地味なわけなんです。

 

 

 

継続は力なりの意味

 

努力しているところって、本来はなんもかっこよくないし、地味なもの。

 

そこをわざわざ人に、「自分努力してます!」とアピールするのは愚の骨頂である。

 

努力を広言したところで何にも得るものはないので「努力は人の見えないところでする」が正しいようですね。

 

修行などもそうですが、同じことの繰り返しだし、努力自体はなんもダイナミックでかっこいいものではないのです。

 

それはブログにも言えることで、「ブログで成功したい!」て思っているようなら、毎日記事を書いたり、1つ1つの記事をしっかり丁寧に書き上げて、そうやって記事を1つ1つ積んでいくのが努力です。

 

そこで、誰にも見られていないからと諦めては、努力は報われません。

 

「継続は力なり」”ただ継続すればいい”のではなく、”何があっても継続”するってことです。

 

なかなかPV伸びないから諦めるは、努力の無駄使いです。

余計かっこ悪いだけですので、”何がなんでも辞めない”。

これが大事なように感じます。

 

試行錯誤は大事ですがね。

 

 

 

まる

 努力という言葉が嫌いという人の、特徴で、「努力を努力と厭わない」という考えがあります。

 

これには大いに賛成です。

 

むしろ僕も努力というものは、「そこまで好きじゃないことに対する熱量」だと思っています。

 

熱量という表現もどうかと思いますが、現に前述であげた漫画の主人公たちは、あの修行を辛いとか苦しいとかという気持ちで、やっていたわけではないはずです。

 

努力とは。

目標を掲げ、そこに到達するために邁進することである。

 

とあります。 

 

つまり、何か目標に向かうことが大事であり、その目標というのは、何も強制されたものではないはずです。

 

目標は与えられたものではなく、自らが課せたもののはず。

 

積み重ねという努力は必要ですが、何も難しく辛く考えず、もっとワクワクするように努力して見てはどうでしょう。

 

 

アディオス。