生意気

「好きなことを仕事に」するメディア構築。社会不適合者が贈る雑記ブログです。自己啓発、社会情勢、自動車が好きなゆとり世代

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僕は個人で関わりたいけど、社会に執着する気もない

僕は会社や社会など、何かに属することが苦手な人間だ。

 

 

これはずっと昔からあった感情だし、それを今更どうこうしようという気も起きないわけで。

 

 

実際、そんな方は結構いらっしゃるんだと、最近ふと思う。

 

社会不適合者のレッテルを貼られた人々だ。

 

彼ら彼女らは、別に好き好んで今の時代に生まれて来た訳でもないし、そんな無理してでも社会と関わろうなんて考えずに生きている。

 

世の中は、何か一つ大きなレールがあって、その一本のレールにしたがって生きることが正解だという教育兼洗脳を受けて育つ。

 

だが、時たまそのレールからはみ出して、予期せぬ行動に移す人々も存在する。

そんな人たちを”社会不適合者”などとのレッテルを貼り付け、世の中から迫害する。

 

そもそもこの差別の歴史は、人間社会、自然界において絶対に避けられない問題であり、弱者は淘汰されるものという流れが絶対的に存在する。

 

何かに従わなければ、世の中を渡り歩いていけないなんて、そんなつまらない世の中なのだろうか。

 

疑問に思う。

 

好きなことをやって生きるのが、徐々に浸透していっているけど、未だにレールからはみ出せない人々は、そんなはみ出しものを悪者扱いしている。

 

どちらが悪者か、どちらが正義かなんて、定義づけることは難しい。

 

どちらも正しくあり、どちらも間違っているから。

 

正解なんて無いんだよ、なんて言う使い古された言葉で片付けてしまうのはすごく勿体無いけど、正解も間違いも時代の流れでどうにでもなってしまうのだ。

 

 

僕は以前いた会社で酷い仕打ちを受け、それが確実なトラウマとなり、会社に属することをとても嫌うようになっていた。

何もそれが全ての原因では無い。

この社会の違和感はずっと、持ち続けていたもの。

 

一生会社に縛られるくらいなら、自分は独立してやる。

 

父が会社を経営していたこともあり、自分の身近なところで会社員がいなかったため、独立することは僕にとっての普通となっていた。

 

自営業は大変だよ。なんて周りに反対されようとも、僕は絶対に独立するつもりでいた。

 

 

ずっと昔からあった僕なりの考えは、個人でも稼げる力をつけることだ。

 

だからバイトや、会社に就職した時でさえ、僕1人の独断で色々やって(やらかして)来た。

 

 

ピザのデリバリーバイト時代 に店長に言われたのが、「お前は社会不適合者なんだから」だ。

 

今思うと、高校生に対してそれは結構なパワハラだったように思う。

僕は相変わらず、好き勝手なオペレーションをやっては、怒られていた。

 

マニュアル通りやるのはいいのかもしれないけど、こんなやり方はどうだろうか?そう思うと、やらずにはいけなくなる。

 

自分で再構築していく楽しみを覚えていた。

 

こうすれば僕は早いな。そんな風に勝手にやっていると、「あいつは言うことができない奴だ」となる。

 

 

これは確かに仕方ないし、僕にに非がある。

 

 

ずっとこんな調子だったから、実際の会社でもなんらいい成果を残せなかった。

 

一事が万事という言葉があるくらいなんだから、もっと言うことも聞くべきだったんじゃ無いか?なんて思う日もあるが、過ぎてしまったものを考えても仕方がない。

 

 

僕は少しだけ不器用なだけなんだ。

 

そう言い聞かせ、20数年。

 

実際いい時代になった。

1人でも仕事ができて、組み立てるのも自由。好きな人、わかる人とだけと付き合って仕事ができる環境が、簡単に作れるようになって来た。

 

会社やバイトの時は”貰うお金”だったのが、”稼いだお金”と言う自覚もしっかりある。

 

フリーランスは歩合制だ。しかし仕事の内容によっては累積型になることもある。

 

収入も青天井だし、好きなように、稼ぐことができる。

 

これに僕がずっと憧れていたし、やっと形になって来ている。

すごく嬉しい。

 

僕はずっと個人として、社会と関わりたいと思って生きていた。

それで専門に通って資格を取ってなんて、今思うと時間の無駄でしかなかった。

 

もっと早く行動していれば、という後悔を感じつつも、今はとりあえず前に進むしかなくなっている。

 

そうやって僕は関わり合いを持たせつつも、決して社会というものに執着する気もない。

 

”執着”と”依存”はまた違う。

依存はそれに頼り成り立たせようとするもので、執着には無くてもいいのに入れ込むことだ。

 

 

社会に沿ったレールほど、執着すべきではない。

本来それは無くてもいいものなのだから。

 

無くてもいいものに縛られなくなると、人間とても楽に生きられるものです。

 

アディオス。