生意気

元・自動車整備士のフリーライター。ビジネス感覚を身に付けたいクルマ好きライターのブログ

 MENU

僕はこうして会社を辞めた。会社に縛られることから自由な道へ(中編)

f:id:canworks:20170607145105j:plain

さて、意外と長くなってしまった僕の仕事辞めるまでストーリー。

最初は短く行こうとも思っていたんですが、書いているうちにスイッチが入ってしまい、気がついたらかなりの文字数。これは区切らなければ大変だと思い、3部構成にしたわけです。

 

さて、最終的に洗車しかさせてもらえなくなった整備士の僕、これだけに留まらず、状況はもっと悪化していきます。

 

それでは僕のパワハラ史。中編スタートです。

 

 

 

なんで飲み会に来るの?悪化するパワハラ

 

僕はとことん上の人を敬いません。

小さな反抗とも言うべきでしょうか。

本当に尊敬できる人でないと、敬意なんか表せません。

 

とことん社会不適合者だなと、痛感する事件が起きます。

 

それは年末の忘年会のこと。

 

それまで会社での飲み会は何回かあったんですが、僕はなかなか酒を注がないという評価が蔓延していました。

 

そう、注がないです。

 

やや!部長!今期もお疲れ様です!ジョボボボボみたいなやつ。

 

とことん嫌い。

自分で注げや、このオヤジは。

 

これは完全に悪しき風潮と考えているので、尊敬する先輩だけにしかやりません。

それをしたとこで、僕の給料にはなんの反映もされませんからね。

それをすることがデフォであるという解釈が会社にはあります。

良くない。

 

そんなはぐれ者が飲み会に参加すると、完全に目の敵にされます。

 

「お前はどうせ酒注ぎに来ないもんな」

 

そうパワハラリーダーに言われました。

 

先輩からも「ここは注ぎに行くもんだぞ」と怒られ、俺はちゃんとできるんだからと何故か先輩は悦に浸っています

 

そんな僕が集中砲火を浴びる忘年会の席で僕の個性「鉄のハート」発動。

何食わぬ顔で飯を喰らい尽くします。

 

ある程度、分配も考えセーブしながら食を楽しむ僕ですが、さすがにこんな態度、僕でもキレます。

 

リーダーがついにキレて忘年会の席にも関わらず、僕に説教が始まる。

 

そして終いには「お前ここにいる意味あるの?」と言われました。

 

完全に僕に非がありまくりですが、このころの僕に、今の人間関係を修復しようなんて気はサラサラありません。

 

 

 

 

この飲み会の少し前、なかなか言うことを聞かない僕に工場長からこんな一言をかけられました。

 

「お前、なんか病気とかなの?発達障害とか」

 

個室に呼ばれてそんな一言を言われ、ああ、僕はおかしいんだなとやっと自覚。

 

その場は無いですよと一言で終わらせましたが、この発言には結構応えました。

 

世の中には色んな人がいるなんて良く言われています。

そしてちょっとはみ出した変わり者に対してのアタリは世の中かなり厳しいです

その環境で許容できない人間はどんどん迫害されます。

 

 

この忘年会の後、パワハラがかなり激化。

工場長からストップをかけられていたにも関わらず、リーダーは僕に対しての対応がどんどんとエスカレート。

 

仕事はくれないし、口は聞いてくれない。

時たま話しかけたと思ったら気に入らないと殴られる日々。

 

正直かなりしんどかったです。普通に泣いていたと思います。

もうほんとにこのころの記憶が最悪すぎて、僕の記憶からスッポリ抜け落ちています。この経験から当時、自分を全く別の視点から見るという方法を覚えました。

 

自分が言われているんだけど、それを遠くから見ているような感覚。

離人症一歩手前のような状態だったんでしょうか。

 

どうでもいいですが、最悪な記憶であることに変わりありません。

 

 

 

自由な生き方の道を見つける

 

僕の目標は「整備の技術を一人前にして、3年で退職後、父の会社を継ぐ」ことでした。

 

整備の工場を継ぐには整備士である必要がある。1人でも整備がこなせる必要がある。

 

僕はそんな風に考えていました。

しかしそれって僕の本当の目的なんでしょうか?

 

劣悪な環境下にありながら、改めて自分の今後の人生について考え出しました。

 

これは唯一、僕が会社に入って良かったと思えることです。

改めて、自分の在り方を考えることができたから。

 

もしも僕が、配属された店舗の環境がとても良く、ストレスフリーで働けたら、きっと深くまで考えることはなかったでしょう。

 

僕はここで良く考えて、自分が本当はどう在りたいかまで考えつくことができました。

 

 

そもそも何故、僕が会社を継ぎたかったのか?

それはやはり「自分で運営できるから」という部分につきます。

 

ずっと考えていたのは、自分で会社の舵を切って、何にも縛られず自由に生きることができるからだと思っていたからです。

 

それはつまり、自由でありその上で、自分で会社を良くして業績を上げていこうと思っていました。

だから経営学の本を読んでいて、すごくワクワクしてきたんだと思います。

ほんをよみながら、僕だったらこうする、僕だったらそこはこうしていきたい。

 

そんな風に自分で仕事を作っていけることに、すごくワクワクしていたからです。

 

自営業は大変なんて良く言われますが、それは何も知らない人がなんとなくやって、良くわからないまま経営を悪化させているように思います。

 

会社が回らなくなるのは、つまり資金繰りがうまくいかないから。

 

それってつまり、資金がしっかり確保さえしていたら済む問題ですよね。

 

今は幸い、ネット進歩でより情報が入りやすくなっています。

 

一般的に資産形成は怪しい、資産収入なんてごく一部の特権を持つ人間がやることだ、なんて言われ続けていました。

しかしどうでしょう。

実際に色々な知識を身につけて行くと、資産形成はごくごく自然に経営者が辿り着く答えでもあります。

それもやり方も千差万別、色々あります。

 

それの1つが、こういったブログ、自分のメディアを持つことであると、気付かされます。

 

経営についてのやり方なんかも、調べればセミナーなんてたくさんあります。

 

そうやって色んなことを知ってしまうと、わざわざ親の会社を継ぐ意味がるのかと、疑問に思うわけです。

 

別に整備士じゃなくてもいいな。

 

そう思った瞬間、僕はとても楽になれました。

 

 

 

僕の人生を変えてくれたキッカケ

 

さて、ここで僕の目標は大きく舵を切って変わることとなります。

 

「自由に生きる」

 

フリーランスとして生きる選択をするわけです。

 

しかしいかんせん、やり方や具体性なんかこれっぽっちもありません。

 

そうやって色々調べているうちにたどり着いたのがノマドワーカー」という生き方。

 

場所や時間、会社に捉われずにどこでも仕事ができて、好きなことをしていられる生き方。

 

 

これだ。

 

そう思いました。

僕は基本的に飽きやすく多動症

どこか一つの場所に決まって居ることがどうにも苦手。

 

そもそも会社にいきたくないのも、そんな惰性の毎日が嫌だったから。

 

こんな生き方をしよう。

 

そう決めた瞬間、僕はノマドワーカー関連の書籍を一気に読み漁りました。

そしてどれも出てくるのはやはりアフィリエイト収入関連で収入を出すこと。

 

ブログを立ち上げれば、それが資産収入となることも、それで知りました。

 

 

まさに僕が望んでいた世界。

 

仕事は場所に縛られずできて、個人でも仕事が可能。そして資産形成型であること。

 

まさに的を得ていた。

 

しかし、数々のアフィリエイト関連の本、ノマドワーカー本などを読んでも、僕はいまいち踏み切れずにいた。

 

そうは言っても簡単じゃないよな。

 

誰もが成功するはずないもんな。

 

そんな負の思考に陥っている時です。

ある一冊の本と出会います。

 

それがこれ。

 

 

 

度々ブログでも紹介していて、散々感想を述べていますが、パワートラベラーの阪口ユウキさんの書籍です。

パワートラベラーと大層な肩書きを名乗っていますが、PC一台で生計を立て世界を旅する人のこと言います。阪口さんしか、この肩書きを名乗っていませんが、紛うことなきノマドワーカー」です。

 

この阪口さんの半生ですが、社会に出るも、うつ病を発症しなんとか社会と交わることなく収益が出る方法はないかと、悩んだ末、たどり着いたのがアフィリエイトという方法。

 

そのあとは独学でサイト構築などを学び、大阪のあいりん地区の安部屋でひたすらネット浸かる日々。その後、サイトの収益が固まってきた後に、世界へ飛び出すわけです。

 

ブログをやっていると、そんな人はたくさん居ることを知ります。

しかし僕にとって初めて共感を持ち得て、かつここまで背中を押してくれた本はこれでした。

 

いつか会って挨拶だけでもしたいものです。

 

 

この本を読んだのが2016年の10月。僕はブログを立ち上げました。

 

 

後編に続く。

www.namaiki-100.com