生意気

ネット関係に勤める僕が生意気にも好きなことを語る備忘録的ブログ。好きな言葉は「急がば回れ」

僕はこうして会社を辞めた。会社に縛られることから自由な道へ(前編)

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どうも、元自動車整備士の生意気です。

 

結構いろんな記事で書いてはいるんですが、改めて僕が仕事を辞めるまでについて書いていこうかなと思います。

 

結構赤裸々ですね。

 

仕事辞めたいなって思っている方の背中を押す一歩にでもなればと、文を書き出します。

 

※意外と長くなってしまったので3部構成にします。良かったら僕の落書きを最後までお読みください。 

 

 

 

僕が整備士を目指した理由

 

まずはここから語るべきでしょうか。

僕は今現在、ブログを更新しつつ、クラウドソーシングを利用してライター稼業を担っています。

 

経歴を見るにかなり特殊ですね。

自分でもスタンスを語る際にいつも違和感を覚えます。

しかし楽しいからオッケーなのです。

 

まず、僕が自動車整備士を志した理由としましては色んな思いがあります。

 

まず1つは単純に「車が好きだから」です。

これは今でも変わりません。

整備という道から退いた僕ですが、潜在的に宿る車好きの魂は失われておりません。

 

僕は中学生の頃、ゲームセンターにある筐体型ゲーム湾岸ミッドナイトにどハマりします。

 

おそらく車好きなら誰もがプレイ済みかとも思いますが、僕が車好きに目覚めた理由がこれです。

なんとも単純であり純粋。

我ながら「ハマる」ということの影響力は凄まじいものだなと感服いたします。

 

そんなわけで、中学は車のゲームにどハマり、高校に上がると次はバイクにハマります。

千葉県のかなり田舎在住の僕としては、バイクは絶対に欠かせないライフライン

 

最寄駅から徒歩50分、バスは1時間に2本というまさに陸の孤島住まいの僕にとって、バイクという移動手段は欠かせないものでした。

 

そんな中やってくる進路決定の時期。

僕は特別迷うこともなく、自動車整備の専門学校への進路を選択したわけです。

 

迷いなく選択できたのにはもう1つ理由があります。

父親が整備工場を営んでいたから」です。

 

じいちゃんの代から続くその整備工場ですが、今は父親が2代目社長としてそこに君臨します。

 

僕は昔から漠然と「何かで成功したい」という大まかでありつつ大いなる野望がありました。だからこそ、父親の会社を継ぎたいと思うようになります。

 

そんな信念もあり、僕は専門に入学し、車の勉強を学校しながら、独学で経営学を勉強し始めます。

 

明らかに血迷ってますね。当時の僕。

 

ちなみに勉強という勉強は苦手です。

 

興味のあることに関しては、類稀なる集中力と吸収力を発揮するのですが、学校で腰を据えて勉強するというスタイルが全く性に合いませんでした。

 

おかげで学校の成績は底辺。再試組み常連生徒となっていました。

 

しかし、経営学となるとどうでしょう。

会社の仕組みやらマーケティングを知り、気づけば経済の勉強もするようになり、完全に二足のわらじ状態で専門学校に通いつめました。

 

おかげで社会情勢ネタは詳しい方です。もはやそっちの方が学んでいて結構好きです。

会社の仕組みとか、在り方とかの分析が超好き。

 

いっそコンサルでもやればよかったんですがね。

そんな道の選択は、当時の僕にはなかったわけです。

 

そして就活の時期が来て、晴れて就職を果たすわけです。

 

 

就職から会社嫌いへ

 

当時の、僕の目標設定としまして「整備の技術を一人前にして、3年で退職後、父の会社を継ぐ」でした。

 

しかし今思うと、この考え自体がナンセンス。

あとで詳しく書きますが、僕の根底の目標ってそこじゃないんですよね。

 

 

 

専門卒でありますから、資格さえあれば就職には特段困らないわけですよ。

 

色々、会社見学にも足を運びましたが、結局決めたのは最初から入ろっかなと思っていた某ディーラー。

 

周りから見たら大企業の看板を欲しいままにしたわけですが、ディーラーっていうのは所詮小売店です。

 

自動車メーカーのディーラーというのは、メーカー自身で運営する「メーカー系」地域の会社が経営権を持つ「地場系」に別れるんですが、ほとんど多くのディーラーが後者の「地場系」に該当します。

 

わかりやすくいうと、フランチャイズ店舗のようなもの。

 

もちろん、僕が入社した会社は「地場系」のディーラー。

これといって、大手メーカーの特権というものはなかったです。

ブランドだけが僕に付いた感じ。

 

会社の運営はメーカーが関与しないので、世の中の流れとは逸脱した経営方針でありました。

地元という利点を生かして、様々な業種にも手をだしている会社です。

 

確かに大きな会社ではありましたが、中身はそれはそれはひどいもの。

 

そうか、これが社会の現実か・・。

 

4月、入社直後の研修で、僕は会社にいることの違和感を覚え始めました。

 

 

 

配属先決定。職場環境の劣悪さとパワハラ

 

研修は1ヶ月で終わり、晴れて5月から配属先での勤務が始まります。

 

僕が配属先として選ばれた店舗がまさかの学生時代にインターンで行った店舗でした。

 

僕の学校では、就職が決まってから約1ヶ月近く、インターンとして就職先の会社に無賃労働をさせられる制度があります。

 

その時の僕のインターン先がそのまま配属店舗になろうとは。

 

正直、そこの店舗だけは絶対に嫌だと研修の頃から思っていました。

 

そこの店舗はとても体育会系気質で、それでいてそこの工場を取り締まる方がいるんですが(仮にリーダーとしましょう)、その方がかなり凶暴かつ恐ろしい人でして、結構すぐに手を出す方だったんです。

 

噂に聞くには、一度パワハラで訴えられたものの、処分としては店舗の異動のみで済んでいるということでした。

 

先輩がこっぴどく被害にあっているのを、インターン中でも見ていたので、ここだけは絶対に嫌だとずっと思っていたんですが、見事に配属先に決定するという結果に。

 

完全に「思考は現実化する」状態。

 

そんな店舗ですから、もうすでに嫌な予感はバリバリしていました。

 

僕は人に尻を叩かれても動かないタイプの人間なので、仕事はマイペースにやりたい性分です。

これはアルバイト時代から染み付いたもので、学生の頃にやっていたすき家のバイトは見事にこの真価を発揮していました。

 

ワンオペが問題視されていましたが、少人数のおかげで僕はものすごく自由に仕事ができていました。マニュアルは一瞬だけ見て形だけ覚えて、後は僕なりの解釈で仕事を組み立てる。それには他の一切の意見は取り入れないというかなり固い考えの持ち主でした。

 

そんな癖が残ってるせいで、なかなかリーダーの言うやり方には従えなかったわけです。

 

「自分で考えろ」と言う割には、自分で考えてやるとあーだこーだ後から言って来たり、「自分の考えだけで仕事を進めるな」とも言われる。

 

なんとなくその理論はわかりました。

”適材適所”と言いますか、ここは自分なり、ここは言うことを聞く

その見極めが大事なんだろうことも。

 

しかし、まだ入ったばかりで右も左もわからない僕にとって、その要求はかなりハードモードです。

 

そして始まる僕の暴走。

言ったことを一個一個メモして、要所要所でそのやり方を実践してみるも、意外と自分なりでやると早く済んだりしてたんですが、「なに?そのやり方?」と言われ次には、怒りの鉄槌が降る。

 

もういっそ怒られるんなら全部自分なりでやってやる!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づいたら僕は洗車しかやらされていませんでした。

 

 

 

中編に続く。 

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